story

「チョコレートコスモス」

 家の裏の海に近い財田川という川に。大きな大きな漁船が何隻も何隻も続いている。その積み上げた網の中には、たくさんのタコ。タコの大漁。それを横目に軽く走り始めた歩。

 そんな夢を昼寝にみた坂田 歩 39歳。香川県観音寺在住。秋には、ちょうさが町のいたるところで人々の胸を熱くそめる。2年半前に祖母が亡くなり、祖父母の家を長男の父 省三が継いだ。この地に住み始めて3年。家族3人。そして離れて暮らす兄の4人での。歩のアルコール中毒、ならびに統合失調症への闘病生活は続いていた。


 高木 満、当時41歳。歩の憧れのミュージシャンだ。歩 25歳のとき、東京で就職しており、友人のすすめでファンとなり、あるとき応募した、ラジオの公開収録の招待状が届いた。その日は、少し雨空の下、黒のワンピーズにターコイズブルーのネックレスをしたはものの。社内で失恋をし、下にうつむき加減で、ラジオ局に到着。

そして。生の。高木 満を見ることとなった。背はさほど高くはないものの。スラっとして、和柄のシャツが似合っていた。少し胸にチクっと刺さる高木 満のショートムービーをみる。チクっと刺さる胸と、思い出す日常の痛みが交差して顔がクシャクシャ。その後の彼の生ライブは、会場内をあたたかく包み込む。このときから、我を忘れ。坂田 歩25歳。彼と同じミュージシャンを目指すこととなる。


 歩。社内で失恋後。入社して3年間勤めた会社を一身上の都合により辞職し。少しの派遣会社に登録して、2社ほど転々とするが、その後、強制的に両親に、東京から、当時の兵庫県は川西の家に連れ戻された。そのころ。既に、アルコールを大量摂取。心療内科にも通っていた。そんな歩の唯一の心の隙間を埋めるもの。それは、曲作りであった。高木 満のようなミュージシャンになりたいと少しの夢を抱きながら、年に一度の知人や友人を集めてのミニライブを、神戸三宮のジャズ喫茶で開催していた。ライブ開催時間は、およそ2時間。前半と後半と衣装をかえて。しかし。回を重ねるごと。友人には、子どもが産まれたり。それだけではないと思い、落ち込むこともあるべきだが、少しずつ集客数は減り、ライブはやめて、香川は観音寺へ。田舎へ帰ってきた。


 高木 満にファンレターをやプレゼントを送り続けた12年。そして、その事務所オーディションとして曲を、歌を送り続けた12年。彼へのファンレターの中に、歩は返信用の封筒まで添えたことさえあった。

ミーハーなんだなっという自覚が全くない坂田 歩は、楽しい日々ばかりではなくとも、ポッと燃える恋心をいつも胸のどこかに持っていた。

 12年というとひとまわり。ひまわり一周ひとまわり。歌手になって、高木 満と同じステージに立ちたいという夢をもったひまわりは。一度は咲きかけたもの、太陽の陽があたらない場所で、萎れ、倒れてしまった。


 1年前。歩。統合失調症ならびにアルコール中毒により。香川県は丸亀市の病院に入院。3ケ月の療養。院内では、5,6年前から続けている布を細かく切って画用紙の下絵の上にボンドで貼っていく、「貼り絵」に毎日没頭。そして。外出届を出し、父 省三と行った古本屋で見つけた、大きな本。その本が、まさに。歩を本の世界へといざなった。

 院内では。「貼り絵」と読書を繰り返す日々。診察は、週に1回。火曜日の午前中だった。3ケ月の間、いろんな思い出あり。夜空の月がきれいであったり。流れ星をふたつ見たり。その感動をかっこいい看護師さんに伝えたり。


 そして無事、3ケ月が過ぎ。退院。日々の生活に戻る。自宅では、3年前から続けている手づくりバッグと小物の店。手づくりをする傍ら、貼り絵、読書、そして歌。好きなことばかりをして過ごしていた。


 週に1回の病院からの訪問看護では、歩の創る作品作品を褒める。よって歩の自信も高まるばかりであった。それが良いのか悪いのか。


 そんなある日、目覚めのとき、鳴りやまない幻聴に。

「あんな下手な絵でかっこつけんな====!!!」

っと怒鳴られた。今だない怒鳴りようであった。

その後。歩はどん底。2,3日立ち上がれず。な日々。

そして。貼り絵に再び向かった。。。


 年に一度。京都のレトロなお茶屋さんで貼り絵の展示会。これも昨年に引き続き2回目となる。開催は10月の1ケ月間。

お店の名前は、「チョコレートコスモス」そこに、歩は、自分の展示会を開催する10月に1度は訪れる。そのお店に集うのは、帯や着物のリサイクルショップを営む人であったり。古本屋を営むファニーな黒人さんであったり。駅地下で靴磨きをする坊主のおじさんであったり。なかなか面白い商売人さんの集まる店だった。この店を歩は、ネットで見つけ。手数料なしで。1ケ月間も展示してくれるということで、歩は飛びついた。省三に伝え、昨年、今年と、観音寺から京都まで作品を届けている。


 この展示会は、歩にとって、年に一度のお祭りだ。ワッショイワッショイと言わんばかり。静江が作ってくれた黒地に金箔の帯で作ってくれたポシェットを提げて、チョコレートコスモスに向かうのであった。


 ネットでの「高木 満」検索は、日に日に減っていった。高木 満への依存は、12年にも及び、良いファンとは言えなかったのかもしれない。それでも、そのぬくもりある高木 満の声、人柄に惚れていたのは、確かなのであった。


 今。歩の前には。父 省三の数百冊にも並ぶ本棚が。そこから今、選んだ1冊は。井上ひさしの「東京セブンローズ」だった。


 10月13日。歩は、展示会の様子が気になり。観音寺から京都は、二条城の近くの「チョコレートコスモス」へ赴くことにした。日に日に紅葉の葉が色づく京都にも、「秋」という季節が訪れていた。

「あら。歩さん。いらっしゃい。」

お店のママさんだ。

「こっこっこんにちは。。どっどっどうですか?」

歩がガチガチだ。日ごろ、訪問看護の人としか、ほぼ話さない歩は、対面が苦手で少しずつ口元が歪んでしまう。

「あ~まだ1枚も売れてへんの。ごめんなさいね~。」

そう。今年は。貼り絵の販売もすることとなり。それも気になって来たのもあった。

「あらあら。そこにつったんてんと。座っておくれやす。」

「あっあっありがとうございます。」

歩の絵は、この店の店内のまわりをぐるっと一周するように飾られている。

じっと覗き込んでくださる方もいれば。少し眺めて、自分たちのティータイムを楽しむ方もおられるようである。

すると、偶然。昨年来たときにもお会いした坊主の靴磨きのおじさんが、もうひとりの坊主の靴磨きのおじさんを連れて、ティータイムなのである。

「やー姉やん。今年もやりよるな~。チカラもらえるわ~。」

ほんとかうそか。お褒めの言葉頂戴し。歩は少しうれしかった。

「歩さん。ちょっとこちら来てくれはる?」

ママさんに呼ばれた。

「はっはい。」

「絵、売れると。歩さんの連絡先をお役様の希望によっちゃ教えて差し上げたいの。どうかしらん?」

ちょっと考えて。答えた。

「いっいいですけど。」

「ほな。この番号でいいわね。ありがと。」


「はい。では。よろしくお願いします。」

歩は、そう言うと、もう一度。店内に飾られた自分の絵をじっと見つめた。


そして。

「それでは。失礼します。よろしくお願いします。」

「はいはい。おまかせ。」

ママさんは、終始笑顔で、歩を送り出してくれた。


歩は、少し歪んだ口元を手で直してみせ。よしっと歩き始めた。トイレが気になり、駅でトイレをすませ、電車に乗り。観音寺行きのバスが出ている大阪まで乗った。


(あ~まだ売れてないか~。まだ半分やね。まだまだわからんね~。)

そう言い聞かせ、歪んだ口元をもう一度手で直し、歩き始めた。


そして大阪。大阪は。京都とちがい。人間のにおいが強い。歩は大阪が好きだった。いや。今でも好きである。でも。いろんな新しい建物やショッピングモールができ。歩にはもう遠い存在になりつつあった。そんな大阪で行き交う人々。速足で。みんなどこへ向かっているのだろう。そんなことを思いながら。観音寺行きのバスに乗った。


それから数日が過ぎた。10月23日の昼前。

「プルルルル===!」

電話が鳴った。静江が受話器をとる。

「はい。坂田でございます。はい。お待ちください。」

静江が言う。

「歩、チョコレートモスモスのママさんから。」

プッと吹き出しそうになるのを我慢。

「モスモスじゃなくて、コスモス!」

っと静江に呟く後。

「はい。歩です。」

「あら。歩さん。絵。1枚。売れたんよ。それでね。連絡先お教えしたんやけど。今ここから電話させてくださいいいはって。」

「どの絵ですか?」

慌てて、歩。聞く。

「鯛よ。めで鯛。鯛の絵よ~。」

「そうですか。ありがとうございます。」

「ほな。代わるわね。」

「もしもし。藤沢と申します。この度は、素敵な絵をありがとうございます。」

男性の方で、歩は少し驚いた。話を続ける。

「はい。こちらこそ。ありがとうございます。気に入っていただけて光栄です。」

すると藤沢は。

「絵はずっとなさるんですか?」

ん?っと少し拍子抜けなことばを頂戴し。

「はっはい。そのつもりですが。」

そして、藤沢は。

「また、来年もされるようでしたら。また観に来たいなあ。」

「ありがとうございます。」

ここは。お礼だけ言っておこうと思った。

藤沢は言う。

「それじゃ!また来年!」

「はい。ありがとうございました。」

歩は、絵のお買い上げの礼を言い、ママさんと少し話をして、受話器を置いた。藤沢のことばが、少し歩の胸の中を困惑させていた。そしてどこかで聴いたことのある声音に歩の胸の鼓動が少しよみがえり始めていた。


 そうして。10月終わりごろ。日本人作家がノーベル文学賞を受賞。そんなニュースを父から聞いた。父の薦めで、その文学者が学生たちと討論会をするというので。見ることにした。題材は。いろいろであるが。主に。「小説とは?」である。話が実に面白い。でも難しいところもあった。判りかねる箇所も。あった。それでも、とても学び多きメッセージ。

 

 歩は。まさかのまさか。作家志望ではないが。ひとつのおもしろいストーリーをカタチにしてみたいと思っていた。自分で体感し表現できたら何よりだ。あの人に憧れた12年もきっとおもしろいカタチとなるであろう。歩はそう思う。今では。ミュージシャンになれなくて良かったと。井上ひさしの「東京セブンローズ」を読みながら。そうも思うのであった。


 ある日。歩は。父の靴を玄関で、見つめる。もうこれ真っ白や。っと思いながら。ただただ、祖母が使っていた靴磨きのスポンジと、茶色の乳脂クリームと少し濡らした綿の布を準備し。もう何年も履いている父の革靴を磨き始めた。自分の肌も整え、心のケアである。歩は、料理がなかなか得意な方で、油分がわかるためか。靴磨きが得意のようだ。ピカピカ出来上がり。

父の靴は、少し赤がかったチョコレートのような色だった。

「完」


「メロディー」

歩の今年のバレンタインデーは。大阪の高級ホテルに泊まることに、自ら決める。日々、この祖父母から受け継いだ3人で暮らすには決して大きくはない家に引きこもり状態の歩。旅に出たいと両親に申し出ても「ダメ」の一点張り!歩はついに。両親の大反対を押し切って旅立つのであった。パンパンに詰め込んだリュックとブランドもののバッグ。少々不安を胸に抱きながらの旅立ちは。駅の売店で。アルコールではなく。あたたかい1本のミルクティーを買わせた。歩はそのミルクティーを握りしめ観音寺からは岡山行きのしおかぜ12号で出発した。20万円という現金と少なからずの残金のある通帳となくさぬようリュックの底に押し込んで。青空の下。海を眺めながら、瀬戸大橋を渡ってゆく。今。歩の心には。何があるか。幾度幾度も同じことを繰り返す。放浪癖からの家出という名の家出は。両親の心配も考えられぬほどの真っ赤に染まる布に向かう闘牛のごとし。そうと決めたら我慢ができず。日々の幻聴にもながされる旅立ちであった。


カップルの集うバレンタインデーに。歩は何故。旅立つのか。それは、ホテルルーム。そしてホテルのサービス。もてなすコックの数々の料理。ホテルには夢がある。チームワークで整え、備えられたであろうそのサービスに。歩は片思いをするのである。


歩は、ホテルのチェックインの2時間前にロビーに着いた。バレンタインデーということもあって、ホテルでは、結婚式が行われているようであった。

「そうだよな。幸せなカップルは、愛一色に染まるバレンタインデーに式をあげるのかな?」

っと。考え込みながら。フロント前のいくつか並べられた長椅子に、おじさんやおばさんたちとファミリー感漂わせながら。歩はひょこんっと座っていた。


まずは、チェックインし。部屋に入った後。早速ホテル1階奥の大好きなバーへ。そこで。デュベルという「悪魔」という意味のベルギービールと出合う。持ち運ばれたグラスは大きく。両手で持たなければ飲めないほどの重さ。口当たりは軽く。にごりも酷もあまりなく。歩は好きになった。そしてつまみとして。燻製の盛り合わせ。牛肉の赤ワイン煮をいただき。食の方も納得いくバーであった。スマートに動くバーのサービスに酔いしれながら。1杯。そして1杯と。デュベルもすすむはすすむで7杯までいった。そして。お手洗いに行きたくなったため。足取りはまだ大丈夫?いける?っと確かめながら。真っ赤なフルラのミニポーチに歩は自分で裏にお気に入りのローズの生地を縫い付けたお財布で支払いを済ませた。


そして、お手洗いへ行った際に見た。それはそれは大きなハンバーガー。以前。父と東京へ行った際、一番にハンバーガーへ足を向けたかったが、願い叶わずな旅だった。それが。ここに今。夢のハンバーガーのポスターが、となりのイタリアンレストランの前に。歩は。釣り糸で引っ張られる魚のように店内に入った。女性のウェイトレスさんの丁寧なご案内に。歩は少し子どもに戻った面持ちである。

迷わず。あのアボカドバーガーを頼んだ。

10分もすれば。それはそれは大きな超特大サイズのアボカドバーガー。添えてあるものは、ホクホクポテトオニオンフライ!全て。歩の決して大きくはない手を精一杯広げて食べたのである。


そして。バーガーを食べた終わった後。最後にと。先ほどのバーへ。カウンターに座った。そして。小さなローズが飾られたショコラのカクテルを。かなりの酔い加減であったが。味と作ってくれたバーテンダーのおじさんの顔を忘れてはいけない。っと何故だか、歩はその時。思った。歩は嬉しかった。カクテルの名前は。「メロディー」。


おぼつかない足取りで部屋に戻り。飲みすぎ、食べすぎたことに。反省しているのかしていないのか。これからどうしていいのかわからない歩であった。ここでの滞在を続ければ。貯めてきた貯金は底をつく。うつむき加減でフロントにチェックアウト。一礼をし。ホテルの外へ出た。


ホテルから観音寺へ帰宅後。週に一度の訪問看護さんたちや先生も心配してくれているということを聞き。薬はしっかり飲まなくてはならないと認識しつつ。今回の旅も、自然に起こったテンペストのようなものだと思うのである。



「闘病」

黄金に染まるひまわり畑をパソコンのyahooニュース画面の画像でみたはものの。歩の心は少し落ちている。そういえば。っと。歩。思い出す。川西に住んでいた頃、ライブをしていたジャズ喫茶のママさんからの紹介で。歌を教えてくださっていたNAO先生が大のひまわり好きで。芦屋にある先生の自宅の部屋にはひまわりのいわば、花まつり!その先生が兵庫西宮でライブがあったとき。ひまわりのさほど大きくはないもののひまわりの花束を贈ったんだ。

先生は、今もNAONAOのごとく各地で歌い続けている。そんな先生を最近、フェイスブックでチェック!先生は一度はふっくらしたはものの。今ではまたスマートに、かっこよく、ボーイッシュでシュールなたたずまい。すごいなあ。素敵だなあ。っと今の歩は思うのである。

先生は、少し前にお父様をなくされ。天国のお父様に歌を届けている。


歩は、今の病気が悪くなってしまったがゆえ、先生のレッスンを辞めた。川西にいた頃。神戸三宮そごう前で路上ライブも。計62回を終えたところで警察に止められたことを言い訳にするがやめてしまった。

高木 満と同じステージに立ちたいっと応援の署名も神戸の方々340人から頂戴した。しかしながら。路上ライブ100回。署名1000名という目標を果たせぬまま。歩の夢は終わったのだった。


そして引きこもりが始まり。目指すべき居場所を見失いはじめ。アルコールという弱い人間にプラセボなチカラをくれる闇のようなものが。依存という黒い2文字のビニール袋を頭からかぶせてきているのであった。


まず、歩の耳で鳴り響きだしたのは。男女問わずな幻聴である。お腹のぐるぐる音も人の声に聞こえる。時には命令し。ときには差別し。ときには歩を喜ばせ。歩が自立できないように上から抑えているかのようである。ときに。歩は。危ない行動を取るが故。ドクターや看護師から。幻聴から離れられなくさせられていると思うのである。

だから。どれだけ頑張ろうとしても。家の仕事。家事をするのが精いっぱいな歩であった。世。社会には。もう歩は戻れないのである。


精神医学の本を歩は。読んだ。読んでいくと。統合失調症でのリストカットなどは。自業自得だと言わんばかり。自分への愛護だと。苦しくて。本を閉じた。その連続である。残すページ。一番知りたくない。異性への問題だ。きっとまた苦しくなるであろうと。歩。思う。


歩の貼り絵。苦しみからくる真逆のカラフルボンバーである。これも。自分への苦しみからのがれるための愛護なのかもしれない。ゴッホは。自殺間際の作品は。黒いカラスを描いている。黒こそが。苦しみから逃げない。苦しみを受け止める色なのではと。素直に。苦しみ、寂しさを紛らわさず。正直になれば。黒い絵を描くのかもしれないと。歩。


歩 40歳。この12年の人生は。全て嘘だった。歩は。黒なのだ。人前で歌なんて歌えない。異性と話せたもんじゃない。カラフルなんて大嫌いなんだ。


しかし。歩が目指した。高木 満の事務所の社長は。こう言っていた。「人を楽しませる服が着たい!」と。そんなことばを拾った歩は。ちょっと向こうの方たちと庶民で。大きな勘違いを起こしていたんだ。でも。それも違うとも思う。


歩は。容姿も良くなければ。デブだ。性格悪し。いいとこなしだ。

が。しかし。最近。母不在のもと。子どもながら。観音寺の家を守っている。

朝のドリップコーヒーから始まり。掃除、洗濯、洗い物、食事。などなど。

家がすっきりだ。実に気持ち良い。

歩のできる仕事というのは。家事なのではないかと。それしかできないのではないのかと。そう思った。

毎日が楽しい。冷蔵庫の中が減って。増えて。ぎりぎりまで減って。そしてまた増えて。を繰り返す。

そんな暮らしの楽しさが。病気を良くさせていくのではないかと。歩。今思う。

幻聴とは。うまく付き合わなければならないのは悔しいことこの上ない歩だが。

少しずつ病気を理解させてくれている父やドクター。看護師に感謝である。

1日が終わり。ベッドにダイブするその心地よさがたまらない歩であった。

このまま続けてみようと思う。

「完」

「小川に癒されて」

坂田 歩 40歳の秋。3回目となる。「チョコレートコスモス」での貼り絵の展示会。今年は。自宅でやっていた手づくりのお店での小さな布小物も出品した。布小物では。どうにかこうにか。歩のカラダに力が入ってしまうがゆえに、そのカタチ、どこか、お守りのような、いびつさを感じてもらえればと作った作品だ。作品は、100円~800円ほどに値を付け、本当に。少し苦しい方へ届けたい。そんな思いだった歩は。半ば少し。楽しみであった。私の布作品は、来てくださる方に届くのであろうか。と。


3回目の展示会の頃では。歩の携帯も。「スマホ」に変え。その中の「LINE」というものが使えるようになっていた。そこで。お茶屋のママさんからも連絡がもらえるようになっていた。

「今日は。ひとつ売れましたよ。」

「今日は。貼り絵の感想などもありますよ。」

などなど。ちょこっとhappyなメッセージを受けとっていた。

たとえ。100円の小物だったとしても、手にとって選んでくれたそんなお客様に、歩は心を通わせたような心持ちであった。

しかし、そんな二条城近くの「チョコレートコスモス」へ。今回は。10月の中頃。京都に足を赴けたはものの。訪れることはしなかった。貼り絵4枚。布小物15作品の出品である。そんな展示会。歩は、もうどうでもよかったのであろうか。


ちょうど。京都に向かったのが10月14日。

実は、地元の四国新聞で既に展示会が始まった後の10月11日に。高松のサンポート大ホールにて。菊池寛の生涯をたどる講演会が開催されることが掲載されているのを見つけた。しかも。参加料は無料である。午後1時半~4時半までの3時間。闘病中の歩にとっては。人混みの中へ向かうのは言わば、「かけ」であったと思う。何か。嫌な音や話し声が鳴れば。大声を出してパニックを起こす。そんな状態に及ぶ可能性があると自ら理解していたとしても、歩はこのとき。この菊池寛の講演会に行きたかった。


そして10月11日。菊池寛生誕130年。没後70年。歩は生まれて初めて、菊池寛という名作家の生涯を知る。そして幼少の頃のことや。秀才 芥川龍之介とのことなどなど。大ホールにプロジェクターで映し出された資料(フィルム)にまとめ上げられていた。

歩は。もちろん。菊池寛という作家がどのような人物であったかも少しは理解できた。が。それとは別に。ステージの上でフィルムに沿わせ、ひとりのヴァイオリニストと語り続ける講談師。そして某有名大学教授が制作されたであろうその資料(フィルム)。その3つがまるで美しい万華鏡のような構成で話が進んでいくさまに。歩は感銘。それと同時に。自分のこれまでの勉学に励んでこなかったことへの情けなさが、ハラワタが煮えくりかえるかの如く、自分への怒りとともに。楽しいだけ。苦しいだけでは済まされない。現在の幻聴との闘いを少し悟ったのであった。


歩は。家事を。家の仕事をやれば心も落ち着いて穏やかに過ごせると思っていた。もちろん。家の掃除などをして。家の中がすっきりすると、「幻聴の少しのやわらぎ」は、確かに感じ取っていた。がしかし。声音は大きく。全くといってよいほどは消えてなくならない。

幻聴が聞こえはじめてから。歩は、話すことばが汚れた。以前より。ということも少しはあるが。それ以上に。心の中で幻聴と話してばかりいると。ことばは、濁りを増し。悪く。出てくる親へのことばも、非常に悪く、そして暴力的な表現になってきた。歩の中のボキャブラリーも、刻々と消えてなくなってゆく。ひとつをあげるとするならば。12年ひとつひとつ覚えた、高木 満の歌の歌詞も、ほぼ全て忘れ去っているのである。このままでは。ことばがなくなって。言語障害になってしまうのではと思った歩は。このままではいかん!っと思ったのであった。


そんなことを思い、考え、思案した10月11日の夜。展示会にて。少しの布小物が売れたことを連絡に頂戴したことで心もすーっと晴れていたが。京都に赴く14日~は。1度も「チョコレートコスモス」へは、赴く心の余裕がなかった。

そんなことより、早く早くことばを頭に入れなければというあせりから、歩を京都の古本屋へ向かわせ、貿易の話。政治の話。漫才師の話など。言語表現が歩にとってかなり難しい3冊を選ばせたのであった。


10月14日。早朝4時までに高速へ入れば、少しのETC割引がきくということで。父との出発は午前3時半となった。そして。三木サービスエリアで父が1時間ほど休んだ頃の6時頃。丁度、車内で本が読める明るさとなった。そのとき読んでいたのは。福井晴敏の「亡国のイージス」である。これも歩にとっては難しい。読めども読めども。ページは進まず。それでも。この本を信じ。頑なに読み続ける歩であった。


さて。京都についた14日ほ昼。先に兄の家に行っていた母 静江との久しぶりの再会。ことばはあまり交わさず。兄の机に向かって「亡国のイージス」をその日は。9時間ほど。


次の日の朝。せっかく来たのだからと、静江が買っていてくれたバスのワンデーチケットを使い。父とふたり。銀閣寺を訪れた。紅葉がきれいで。少し上ったところから見晴らす銀閣寺と紅葉。そして右手奥の京の街が。美しい情景を浮かび上がらせていた。哲学の道を通り。外国の方々も多く。そしてこの哲学の道を鉛筆で描いているおじさんを見つけ。そこに。少し飾られた小さなギャラリー。その細やかな筆先に、おじさんの目にうつる哲学の道への鋭い視線が垣間見れる。そんな絵だった。この哲学の道をたどりにたどり。だいぶ疲れ。増し。ここらで帰ることに。近くのバス停まで下り。そこから兄の家へ。


歩はお茶屋のママさんに任せっきりとなってしまった今回の展示会に。後ろ髪をひかれながらも。次の日の15日も。父と。上賀茂神社を訪れた。庭がきれいで。朱いとりいできちんと1礼する前にいる少し年配のカップルを真似て。歩も1礼。そして。本殿までの1本道を歩く。そして本殿にて。

「どうか。この頭。精進できますように。」

と。

そして本殿から。離れ。父と少し庭を散策。すると。紫式部が詠んだ唄がかかれた石があった。父が。

「紫式部がいたんやあねえ。」

っと。

その石の前には。もみじの葉が1枚1枚とおちて憂いある水辺。小川があった。静かで。のどかで。歩は心から癒されたのであった。

そして。自分で選んだ本を読み。幻聴に左右されない日々を送ろう。っと。心に少し強く思った。


それが。歩の闘病につながる。読書をすすめ。ことばを覚え改め。両親へのこれまでの、乱雑で無鉄砲なことばではなく、優しく。それゆえ深みのあることばで接していけたらと歩は、この小川を見つめながら思うのであった。


歩の闘病は。心の中のことばの改めであると。歩は少しばかり気づいていくのであった。

そしてそこから。少しずつ。対する人との会話を楽しみ。時には笑い。時には叱り受け。そして時に、地元のやさしさにふれ。感謝の気持ちを忘れず。つながっていけたらと思うのであった。

「完」

「ホテルマンへの夢を抱いて」

歩は、大学生の頃。2つのアルバイトを経験。はじめは。ステーキ屋さん。もうひとつは、クリスマス前からバレンタインに向けてのチョコレート屋さんだ。実は。後にも先にも。アルバイトとは言え。頑張って、充実感が得られた仕事はこれらのバイトの他は。なかったのである。大学を卒業して。勤めた会社、その後、4社ほど転々としてしまい。病気発生。そして苦しい闘病生活が始まった。


アルバイト一つ目のステーキ屋さんでは。自慢のステーキを楽しみに来てくださる家族づれやカップル、夜間であると。学生さんが勉強しに。そんな店にお越しくださるお客様ひとりひとりが大好きだった。ご家族4人で来られたりすると、みんな同じ体型で、4人様皆同じ顔!っといった愉快なご家族さまに。歩の方がほっこり。デザート係の日には。パフェを作るのが好きだった。チェコレートパフェでは。コーンフレーク、バナナ、バニラとチョコのアイス。そしてピコラとミント!手早く作るのが楽しかった。風邪でたとえ声が全くでなくなって。ご注文の繰り返しができずとも。働いた。店内には、Aコーナー。Bコーナー。そして奥のCコーナーがあり。テーブルにはひとつずつ番号があり。店員一丸となって汗を流していた。本当に自慢のステーキの店に。お越しくださるお客様が。人が。あの頃は大好きだった。


そして二つ目のところ。通学していた大学の最寄り駅近くのチョコレート屋さん。クリスマス前からバレンタインまでの3ケ月間の短期バイトだ。それでも。週に4、5日。働いている人たちはみんな良い人ばかりであった。

ここもおいしい自慢のチョコレート屋さんで。工場からおくられてくるトリュフは歩の一番のオススメだった。25個入りの箱にお任せで入れてほしいと言われると。ここは歩の腕の見せ所!カラフルに彩りよく25個をBOXへ。楽しい仕事だった。あらかじめ包装紙で包まれた箱にリボンをかける仕事も。そんなときは。少し他の店員さんと世間話。ショコラのチカラ。お店はテレビにも出演し。とても流行っていた。バレンタインのときは。もう店内に人が入れないほどの。人。人。人。チョコレートの入った段ボールを運んでいる途中。「ギクっ!」っと大きなぎっくり腰にもなった。っが。楽しい仕事へ。歩はまっすぐ進んでいたのであった。そんな人に囲まれた。歩の学生時代のアルバイト。本当に心からお越しくださるお客様に喜んでもらいたかった。


チョコレート屋さんでは。3ケ月で数十万!稼ぎ。そのお金で。卒業旅行にぱっと使った。

友人や家族と行った先は。グアム。バリ。韓国。ニューヨークである。

頑張ったアルバイトでの旅行。フェラガモの靴。MAXMARAのトレンチコート。ヴィトンのエピの長財布などなど。生まれて初めての自分へのご褒美も買った。


後にも先にも。歩が本当に、心楽しみ。頑張れた仕事はこれらしかなかった。

人の。お客様の。笑顔が好きだった。


少しずつ自分の病いと向き合い始めた。歩 40歳。対する人との会話も少しずつ大切にしていこうと思っている。まだまだこれから、先に、夢というものを抱いて良いものかどうか。と考える。


歩は。お客様に喜んでもらえる仕事。いわばサービス業が好きだ。そう。何故。歩は、同じ高級ホテルに幾度幾度も泊まってきたのか。

実は。そんなトップクラスのホテルのホテルに憧れ。ホテルマンになりたかったのである。


あまいものではない。あまいものではない。

そんなあまいものではない。

っと。ホテルの方々からの声が聞こえてくる。

それでも。残りの人生。頑張っていきたい歩であった。

「完」